祝日ラプソディ1

「七月の第三月曜日」


 日も傾きだしたので、夕食を作るために台所に立つ。それでも食欲がわいているわけではなかった。ビールを飲みながら簡単に鶏肉と野菜を炒め、スープを温める。今日は暑い一日で、すぐに背中から汗が滲みだしてきた。出来あがった皿をテーブルに並べ、ゆっくりと、作業的にそれらを口に入れる。全てが味気なく感じ、咀嚼の音だけがあたまに響いてきた。食べ終わるとまた台所へ向かい、一つ一つ丁寧に皿を洗う。

 すべてが片付くとソファに座り、ひたすら時間が流れていくのを待った。たまにテーブルに雑多に置かれている本を手にとってはみるが、何一つ内容はあたまに入ってこない。それでもベッドに入るにはまだ十分に時間がある。時計の針は静かに時を刻んでいる。けっきょく、仕方なしに外を歩くことにした。

 街の空気は湿り気を帯び、身体にまとわりついてくる。遠くからは人々の騒ぐ声や、車のクラクションが響いていた。それらに背を向けながら、薮の生い茂る道ともない道をくぐり抜けていくと、そこにはまっ白い空っぽの浜辺と広大な海が横たわっていた。日は完全に沈んでしまってはいたが、夏の始まりの暑さはしっかりとそこにしがみついている。タバコに火を着けあたりを見回してみると、遠くになにか白いかたまりが見える。目を凝らしてみると、そこには一人の少女がひっそりと座っていた。

 少し経ってからタバコを消し、彼女の方へ向かい声をかけてみた。ときおり吹く風に、彼女の長い髪が微かに揺れる。

 返事はない。

 すると、少女はそっと立ち上がり、靴を脱がないまま波の中に足を踏み入れていった。細い脚に周期的な波が打ち寄せる。

「ねえ、こんな時間に何をしてるの」さっきより大きな声で話しかけてみたが、やはり返事はなかった。

 膝ぐらいまでの深さになったところで少女は立ち止まる。スカートの裾が濡れ、必要以上に重みを持つ。時間は静かに流れ去っていく。

「海がね、海がとても綺麗なの」彼女はつぶやく。

「そうなんだ。でもね、もう日も暮れてしまったし、こんな時間のこんな場所にキミみたいな女の子がいるのは危ないよ」ぼくは言う。

「きょうは大丈夫なの、海はちゃんとわたしに開いてくれてるから」彼女は言う。

 ぼくはどうすることもできず、彼女をしばらく眺めていた。頭上には雲一つない空が広がり、そこに星々が美しく瞬いている。もう一度着けたタバコの煙が風に揺られながら途切れることなく空に昇っていった。

 心を決めて脱いだ靴を浜辺に並べズボンを捲りあげ、ぼくも海の中に入っていく。ひんやりとした冷たさがとても心地よく、砂の確かな質量を足の裏に感じることができた。

「キミはどこから来たの」ぼくはたずねてみる。

「すこし遠いところ」

「電車で?」

「電車で」

「そうなんだ。まあ、まだこの時間なら終電とかは大丈夫だろうけど。なんだってこんなところに一人で来ようと思ったの」ぼくは聞く。

「わたしにもよくわからないの、なんでだろうね」彼女はくすっと笑う。「ただ、きょうここに来ればとても気持ちいいんだろうなって、そう思ったの」

「たしかにね、きょうはとても暑かったから。水を浴びるにはちょうど良い天気だ」

「うーん、それとはちょっと違うかな。なんだろう、きょうは特別な日なのよ。海がみんなに開いてくれている、そういう日なの」

「そっか」ぼくは答える。

 きょうは七月の第三月曜日、それは海の日だった。