読書感想1

「西瓜糖の日々」リチャード・ブローティガン


 年をとると考え方が凝り固まってきてしまうもので、20代後半を迎えたぼくも例外なくそれがやってくるのを事あるごとに感じさせられる。日々の退屈な生活の中で探求心は失われ、精神をすり減らしながら惰性で過ごすことによって立派な大人として今ある生活にしがみついて生きていくわけだ。

 

 あんなに好きだった音楽も新しいアーティストを探すことなく、たまに買うCDは昔から好きだった人たちのものばかり。興味をそそられるイベントがあったとしても外出する億劫さに負けてしまったり、仕事帰りは馴染みの定食屋に寄るかほっともっとのハンバーグ弁当と缶ビールを買って一人寂しく食べる。

 

 そんな生活を送っているとそりゃもちろん死にたくなってくるわけだが、たまーに調子が良いときは何か新しいもの探すかーって気分になってくれる。それが上手くはまってくれたときにはそれが一時的なものであったとしても生きる実感を噛みしめることができる。

 

 ここ最近その波がやってきて、リチャード・ブローティガンの小説を読み漁っている。彼はビート・ジェネレーションの括りに入れられていて、ぼくは高校くらいの頃にその辺りにはまってビートの代表格であるケルアックやらバロウズを読み耽っていた。しかしながらブローティガンには一度も触れることはなく、というか彼はその代表格より少し離れたところにいたため、その頃のぼくは彼の存在すら知ってもいなかった。ミーハーなので有名どころを読んで満足していたわけだ。

 

 そんな中、近所の古本屋に格安で置いてあったので何の気なしに購入したのが「西瓜糖の日々」だ。

 

 どこか不思議な世界が飾り気のない表現で淡々と記されており、これがまあ非常に面白い。話の大枠としては主人公の住むコミューン "iDEATH" と無法地帯 "忘れられた世界" とで繰り広げられる物語。「iDEATH = 主体性が死んだ生活」と「忘れられた世界 = 自由を求めて社会を捨てた生活」のやりとりで、当時(1960年代)の大衆社会とその頃に流行り廃れて行こうとしていたヒッピームーブメントを表していると思われる。

 

 過去の話のように思えるけれど、会社員として主体性を殺して日々をやり過ごしていた自分にとってぐっときたわけだ。頭の中でどうにも納得できていなかったものをブローティガンは簡潔に物語という形式でまとめてくれていた。

 

 主人公は"iDEATH"に住み、ガールフレンドや友人たちとひっそりと暮らしている。物語が進むにつれて、ガールフレンドが徐々に"忘れられた世界"に惹き込まれていき、主人公はそんな彼女に対して少しずつ興味を失っていく。あるいは嫌悪すら感じ始める。

 

 物語の最後ではガールフレンドは"忘れられた世界"の住民に取り込まれ自殺し、主人公は主体性を殺したまま、それでも穏やかな生活を送ることを選ぶこととなる。その結末に納得できるかどうかは別として、ぼく自身の今の生活の中での見直すべきところやら何を選ぶべきかについて、ある程度の手応えを持つことができたような気がする。

 

 この先どう変えていけるかはまだわからないけども、これを手掛かりになんとか前に進めることができれば良いなと思う。